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The Japanese Saturday College of Melbourne メルボルン補習校

ブログ 特集 花巻の大沢温泉にて 

先月、岩手県を旅行した。宿泊したのは大沢温泉である。大沢温泉は花巻市から車で20分くらいの山間(やまあい)にある。宿の裏手に豊沢川が流れる。そこから上流へ5分ほど行くと最奥の鉛(なまり)温泉に着く。この辺一帯は花巻温泉郷と呼ばれる。宿は大正時代の趣を残す木造建築で、廊下は狭く、歩くと床がきしむ。玄関の屋根は唐破風(からはふ)のようで、屋根の中央部は高く、左右両端は曲線状に反っている。樹木の中にたたずむ、古ぼけた温泉宿には大正ロマンの風情があった。

その玄関先に「宮澤賢治ゆかりの宿」という大きな看板が見えた。ここは宮沢賢治(1896-1933 享年37歳)が小学生のころから何度も訪れた温泉宿なのである。そんなことも知らずに来たのだが、この看板を見るや必然的に賢治のことに思いをはせた。賢治ゆかりの地である花巻市内や遠野は数年前に訪れていたので、今回は盛岡市内へ賢治の足跡を求めて行った。

帰宅後、小6年国語教科書にある賢治の「やまなし」と「イーハトーヴの夢」を読んでみた。改めて賢治の世界のすごさを実感した。賢治の作品は「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」「雨ニモマケズ」「セロ弾きのゴーシュ」など読んだことがある。童話にしてはわかりにくいし、あまり面白くないという印象だった。賢治の作品の多くが生存中に売れなかったのはやはりわかりにくいからではなかったか。

賢治の童話がわかりにくいのは、まず用語、外国語のようなカタカナ語が多いこと。そして物語の構成や表現の奇抜さにある。

代表作「銀河鉄道の夜」を例にとっても、初めて読んだときは現実と夢の関連や話の背景がさっぱりわからない。この物語は最愛の妹を亡くした直後に書かれたもので、主人公のジョバンニが賢治自身で、カムパネルラが死んだ妹であることがわかると、この物語の創作意図や構成がよく理解できる。それに賢治が天体や西洋音楽に造詣が深く、心の内にキリスト教や仏教の世界観を持っていたこと、タイタニック号沈没のニュースが当時あったことを知れば、「銀河鉄道の夜」は一転して面白い話になるのだ。

国語教科書の「やまなし」は冒頭いきなり「クラムボンはぷかぷか笑ったよ。」というわかりにくい表現にぶつかる。クランボムとは一体何者だ?「ぷかぷか笑った」とはどんな笑い方なのだ?と悩んでしまう。


▲ 田の中に立つ岩手県立花巻農学校教諭時代の宮沢賢治。( wikipedia より )

宮澤賢治はエスペラント語を学び、オノマトペ(擬態語、擬音語)を多用した。岩手をイーハトーヴと呼んだのもエスペラント風の擬音語であろう。それゆえ賢治の作品はエキゾチックである。カタカナ語は覚えにくいが、表現は繊細であり、読者の想像力を掻き立てる。私の場合、賢治の世界がわかるまでにずいぶんと時間がかかった。

大沢温泉のそばを流れる豊沢川に曲がり橋がかかっている。その名の通り、橋は真っすぐではなく、折れ曲がっている。その橋の上で小学生の賢治が写っている写真があった。賢治の時代は川岸にやまなしの木があり、その枝に美しいカワセミが止まり、谷川にはカニが住んでいたかも…。この川は、ひょっとしたら「やまなし」の舞台になった川かもしれない、と想像を膨らませる。すると妙に楽しい気分になって、さらさらと流れる水面にじっと目を凝らしながら、小雨の中しばらく橋の上に佇(たたず)んだ。

宿の階段を地下(地上階)へ下りると、レトロを感じさせる薬師の湯がある。ぬるめの浴槽に浸(つ)かる。アルカリ性のぬるぬるした泉質で、そのぬるぬる感はこれまで経験したことがない強いものだった。天井がやけに高い。台風接近の影響で外は雨が強くなっていた。ふっと、「雨ニモマケズ」を思い浮かべた。

実は、この詩のモデルになった人が実在した。賢治はその生き方に共感し、自分への戒(いましめ)のため死の床で「雨ニモマケズ」を書き残した。その人は、同じ花巻出身で、賢治より19歳年上の斎藤宗次郎(1877-1968)というキリスト教伝道者である。内村鑑三(1861-1830)の忠実な弟子として内村の最期を看取った人である。日蓮宗の賢治とは宗派を超えた親交があった。他人の幸せのために労苦を厭(いと)わない斎藤宗次郎の清廉潔白な生き方は賢治の理想であった。

「世界ぜんたいが幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。人間は他人のことを思いやって行動し、よい結果を得たときに、心からの喜びを感じるものである。」
この賢治の名言は斎藤宗次郎の生き方でもあった。

藤家 管幸 メルボルン補習校名誉校長
藤家 管幸
メルボルン補習校名誉校長

日本で32年の教職経験を経て、2005年4月からメルボルン国際日本語学校校長を勤める。 2009年12月同校退職。2011年4月メルボルン補習校校長に就任。2016年メルボルン補習校名誉校長に就任。

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