
2024年1月1日、能登半島北部にマグニチュード7.6の大地震が起きた。輪島市では最大震度7を観測した。死者は653人、住宅被害は11万戸にのぼった。
その6か月後、復旧途上にあった輪島市を集中豪雨が襲った。多くの河川が氾濫、道路や家屋が押し流され、19 人が犠牲になり、住宅1,900戸が被災した。まさに“一難去ってまた一難”の二重災害だった。
輪島を訪れたのは9月4日のこと。大地震から1年8か月、豪雨から約1年後であった。富山、金沢方面から輪島への最速ルートは七尾市、穴水町を通り能登空港まで行く能越自動車道だ。その先は輪島まで一般道である。物流の幹線道路である能越道は地震と豪雨でずたずたになった。懸命の突貫工事で先月は七尾市までほぼ完全に復旧していた。七尾市から一般道に出て市内を通過、再び能越道に入ると、状況は一変した。
七尾市から輪島まで一般道区間も含めた50㎞は惨状を目のあたりにする苦難の連続であった。とくに徳田大津ICからのと里山空港ICまではまるで新しい道路を切り開いているかのようだった。

【能越自動車道の現況】
おびただしい重機とダンプカーが動き回り、一般車はその間をぬうように動く。輪島への主要道路を全面通行止めにすることはできないのだろう。物流に支障をきたすからだ。片側交互通行の連続で、道路はほこりっぽく、いたるところで波打っている。大雨が心配だ。地震と豪雨による道路破壊はすさまじく、驚くばかりだった。工事現場 の「がんばろう、能登」の大きな看板が印象的だった。
輪島の市街地に入った。周囲の光景は正常ではない。道の駅の脇(写真下)には重機があった。電信 柱は傾いたまま。駐車場は仮設住宅になっていた。周囲を見回すと、ブルーシートの屋根、壊れたままの家が目につく。地震と豪雨の爪痕だ。「輪島の公共駐車場はみんな仮設住宅になった」と道の駅の店員が言う。

輪島に着いたのは正午を過ぎたころだった。震災前なら輪島まで1時間半で行けるところをその倍の時間を要した。輪島には一泊したかったが、宿はほとんど休業中。旅行者を受け入れる状況ではない。ごく一部の宿は土日だけの営業。平日は建設作業員やボランティアの宿泊に充てているようだ。
朝市通りは、夏草が生い茂っていた。ここは日本三大朝市で有名な場所だった。地震直後の火災延焼を免れた家が撤去されないまま残っていた。

【輪島の朝市通り】
能登に少しでもお金を落とさなければ、と思いながら、いろいろなお土産を買って、被災者が営むプレハブの食堂で昼食をとった。帰り際、女子大生のボランティアに出会う。輪島でボランティア活動しているという。こういうボランティアが能登の復興を支えていると思うと感謝と尊敬の念がわいてきた。食堂の前で彼女が私たち夫婦の写真(写真下)を撮ってくれた。食堂の入り口には「Noto Not Alone」というのぼりが初秋の海風に揺れていた。

復興途上の輪島の街をわずか数時間で去ることに何か後ろめたさを感じた。能登の惨状と能登に残った人々がいまなお苦しんでいることを理解し、伝えなければならないと思った。
自然災害の中でも集中豪雨は解決可能な問題である。この夏、線状降水帯発生による集中豪雨が全国的に発生した。猛暑や突風、竜巻なども異常だった。こんな異常気象はかつてなかったことである。これらが気候変動であることは明白だ。能登の惨状を次世代の子どもたちに伝えることと、SDGsの目標13に明記された「気候変動に具体的な対策を実行していくこと」は、喫緊(きっきん)の課題として忘れてはならない。
- 藤家 管幸
- メルボルン補習校名誉校長
日本で32年の教職経験を経て、2005年4月からメルボルン国際日本語学校校長を勤める。 2009年12月同校退職。2011年4月メルボルン補習校校長に就任。2016年メルボルン補習校名誉校長に就任。





