
人生は四苦八苦の連続である。
「四苦」とは仏教用語で生老病死(しょうろうびょうし)を意味する。つまり、生(生まれて、生きる苦しみ)、老(老いる苦しみ)、病(病気の苦しみ)、死(死ぬ苦しみ)である。釈迦は「人生は苦である」と捉えつつ、この苦にどう向き合って生きるべきか、を説いた。
ちなみに八苦は、四苦とは別の四つの苦のこと。
愛別離苦(あいべつりく):愛する人や物と別れる苦しみ。
怨憎会苦(おんぞうえく): 憎い人や嫌なことに会う苦しみ。
求不得苦(ぐふとっく): 求めるものが手に入らない苦しみ。
五蘊盛苦(ごうんじょうく): 自分の心や体が思い通りにならない苦しみ
のことである。
四苦八苦は人生の八つの苦しみを表す。長生きした人はこの四苦八苦を乗り越えてきた人、ということだろう。
今年になって卒業式のビデオを編集した。教職員が取ってくれた4~5本のビデオから映像と音声を切り取ってつないで1本にする作業である。しかしながら、専門の編集機器がなく、ソフトウェアの機能を十分に使いこなせない未熟さもあって、編集にはいつもながら四苦八苦した。
素材ビデオから編集したビデオは11本。全部閲覧すると10時間を超える長さになる。むろん編集作業に費やした時間はこの数倍にも及ぶ。長時間画面を見つめると目が疲れる。その目を騙しながら続けることにも四苦八苦した。卒業式本番の長さは3時間弱になった。不具合をチェックするにも四苦八苦である。
(写真:私のPCの編集画面)

ところがビデオを創るのはけっこう楽しい。何度も観ていると、子どもたちの顔と座席、性格の特徴までかなり頭に入ってくる。スピーチや合唱に聞き入って感動もする。卒業式は、子どもたちと先生、保護者で創る集大成ドラマである。編集の終わったビデオは、不思議なことに、映画「国宝」を観たときのように3時間という長さを、「長すぎ!」と感じなかった。四苦八苦のおかげというべきか。
長丁場の卒業式で、最後まで姿勢をくずさずに厳粛さを保った子どもたちには感心した。その中で唯一声を出して笑ったのは、毎年撮ってきたクラス写真のスライドショーだ。幼稚園から小学校卒業まで8年間、中学校卒業まで11年間の瞬間を3分で映し出す。土曜校生活の走馬灯である。答辞では、宿題が多くて嫌だったこや日本語読み書きの大変さに何度もやめたいと思ったことなど勉強の苦労を吐露する。土曜校に四苦八苦した様子がわかる。反面、友達と会える楽しさと友達との楽しかった思い出もあったようだ。弁当・送迎・学習支援の親への感謝も聞こえた。8年間、11年間を頑張ってきてよかった、という感情がにじみ出る、苦を乗り越えた爽快感があふれていた。
先日、83歳になる現役の整形外科医とスポーツクラブで話をする機会があった。銀色に輝く白髪が妙に美しい。私が、「最近、首の付け根が痛い。肩まで放散痛がある。朝起きたとき、とくに痛む。レントゲンでは頸椎(けいつい=首の骨)に異常はないようだが、痛みは慢性的だ」と言うと、老医師は「それなら心配しなくてよい。私だってあちこちに痛みがある。それが老化というものだ。痛みと上手に付き合って生きなさい」とさらりと言う。老医師は「実は、先日、路上で転倒したんだよ。顔面を負傷してね、ほら、ここと、ここだ」と額と鼻先を指さす。老いる苦しみ、病気の苦しみを乗り越えて、悟りの境地に立っているかのようだった。悠然と生きている老医師のオーラに私は少し安心感を覚えた。
メルボルンに住んでいたころ、近所に、一人で暮らす、90歳を過ぎたころの老婆がいた。私と同じように、毎日犬を連れて散歩するので、道端でよくあいさつをした。老婆は時々鼻水をすすりながら、「身体が痛いんだ」と訴えた。しかしながら、はつらつと生きている風だった。
簡素なクリスマスパーティーに招いてくれた。私が帰国した後、その老婆は入院し、亡くなったと聞いた。自分の心や体が思い通りにならない五蘊盛苦(ごうんじょうく)の苦しみを抱えながら、気丈に生きた老婆の面影を何かにつけて思い出す。
「四苦八苦」は人生の、誰もが避けられない宿命である。この世の「物」も「生き物」もいつまでも同じ状態で存在し得ない。絶えず変化し、形が変わり、やがて消えていく。諸行無常である。
しかし人生は四苦八苦だけではない。もし四苦八苦だけなら人は生きていけない。四苦八苦の先には幸せの境地がある。「苦あれば楽あり」である。創造の喜び、爽快感・充実感、老境の穏やかな達観などは、四苦八苦と真摯に向き合った人だけが得られるものかもしれない。
本校を卒業した子どもたちは、その若さでもう四苦八苦をひとつ乗り越えている。さらなる四苦八苦がかならずやってくるだろう。いい人生だったと思える境地に達してほしいと思う。
- 藤家 管幸
- メルボルン補習校名誉校長
日本で32年の教職経験を経て、2005年4月からメルボルン国際日本語学校校長を勤める。 2009年12月同校退職。2011年4月メルボルン補習校校長に就任。2016年メルボルン補習校名誉校長に就任。





